はじめに
「努力は報われる」という言葉について、過去何度も聞いてきたでしょうし、その言葉に対して「その通り、もっと頑張ろう!」または「努力したところで生まれ持ったものが違うんだから無駄だ」など誰もが一度は考えたことがある問題なのかと思います。こちらについて、定義した内容をもとに考えます。「努力とは?」については下記の記事に記載していますので、まずはそちらを参照ください。
努力が報われたかどうか
努力が報われた、というのを先の記事をもとに考えると、「なりたい状態になれた」ということになります。なりたい状態になる確率を上げていき、100%まで持っていくことができればそれは確実になりたい状態になれる、報われたということになります。一方、努力を重ねて確率90%になったとしても、10%はなりたい状態になれない、報われない現象が起きるということになります。ここまで定義から順に考えても「努力は必ず報われる」という法則はなりたたないことが明らかです。ただ、世間ではもっと「努力は報われるものだ」と言われていないでしょうか。何故なのかを考えてみます。
なりたい状態が正しく設定されているか
努力の定義のところでも近い例を挙げたので、なりたい状態の例として「全国高校野球の大会で選手として甲子園に出場し、優勝する」を考えてみます。今回の例ではBさんという野球を続けてきた高校生いて、その状態になりたいと考えているとします。その場合”努力”の内容としては
- ピッチング練習をする
- バッティング練習をする
- 守備練習をする
- 短距離走を磨く
- コンディションを保つため食生活や睡眠時間をコントロールする
- 甲子園大会の出場経験が豊富な野球部がある高校に入学する
- 野球部のチームワークを磨いてチームの実力を上げる
など幾つも考えられるでしょう。”努力”を繰り返すことで少しずつ確率は上がっていきますが、全国大会での優勝となると非常に困難な道ですし、ケガ、病気、トーナメントの組み合わせなどコントロールできないことも多くあります。Bさんは本人が思いつくすべてのことをして確率を上げていきました。実績として、Bさんは大会中打率、打点が最も高いバッターとして記録に残りました。が、結果Bさんの高校は全国大会「準優勝」でした。なりたい状態のうち、「優勝する」は叶わなかったわけです。Bさんの努力は報われなかったのでしょうか。Bさんの「なりたい状態」の背景をもう少し考えてあげると、報われない努力だったのかについて理解を進められそうです。
Bさんは高校野球全国大会で優勝することにどのような価値を感じていたのでしょうか。もし、Bさんは将来プロの選手として野球で生計をたてていきたい。という思いを持っていたらどうでしょう。十分な実績も上げていると考えると、プロでの活躍も期待できそうです。なりたい状態は「高校野球の大会である程度以上の実績を上げ、将来の野球人生につなげられるようになる」だったのかもしれません。だとするとなりたい状態が正確でなかっただけで、Bさんは「努力が報われた」状態になっています。
Bさんは「父親が全国大会準優勝だった。優勝が親子の悲願。それ以外は考えられない」という思いを持っていたらどうでしょう。どれほどの実績を上げていても、「全国大会優勝できなかった」「努力は報われなかった」ということになってしまいます。
結論
今回の記事では努力の定義から、報われるとは何かを考えてみました。ポイントは以下になります。
- なりたかった状態が何なのか、正しく認識しているのか
- なりたい状態になれる確率はどこまで上げられる(上げられた)のか
- 確率を上げる最も効果的な方法はなんだったのか
「努力」という言葉から受ける表面的なイメージとは印象が異なるかもしれません。何かがうまくいかなかったときにはこのポイントを思い出して振り返ってみてください。諦めなくても良い方法があるかもしれません。